保坂小児クリニックの様子


保坂小児クリニックの歩み

枚方市の南西部に、香里団地があります。昭和33年完成当時は「東洋一のマンモス団地」といわれ、国内外で注目を集めていました。昭和37年にはロバート・ケネディ米国司法長官(ケネディ大統領の実弟)が団地を視察し地元の開成小学校を訪問しました(開成小HPへのリンク)。また昭和41年には哲学者サルトルとボーヴォワールが香里団地に住む友人の多田道太郎氏を訪ねた折、香里団地保育所に立ち寄っています。「香里団地の並木」は枚方八景に数えられ、また日本を代表する庭園家・重森三玲が手がけた以楽公園、桜の名所として知られる桜公園や観音山公園があります。

 

当院は、そんな香里団地内の一角にある、産晃マートビル2階に、昭和38年、保坂医院として開院したのが始まりです。昭和43年に現在の場所に移転、平成6年に医療法人保坂小児クリニックとなりました。既に半世紀以上が経過し、その間、一貫して、保坂智子が診療にあたっていましたが、平成27年4月から、次男である保坂泰介が診療部門を引き継いでいます。

 

当院の特徴の一つは、古くから病児保育を行っていることです。高度成長期の象徴でもあった香里団地には、若く共働きの夫婦が多く移り住みました。結婚・出産しても第一線で仕事を続けようとする多くの女性は、まず第一に保育所設立の運動を熱心に行い、昭和37年に香里団地保育所が生まれました。しかし次に問題となったのが、子どもが病気になった時のことでした。相互に子どもを世話する取組みなど試行錯誤を重ねましたがどれもうまくいかず、いよいよ病気の子どもでも安心して預けられるような施設への要望が高まっていきました。それを受け、昭和44年、当時の働く母親の一人でもあった保坂智子の責任のもと、病児保育室が誕生しました。これは、医療機関が運営に関わる病児保育室としては全国で初めてのことでした。以後現在に至るまで多くの方が利用されてきました。かつて利用された子どもが親になり、その子どもを連れてこられる二世代利用者も今ではたくさん見かけるようになりました。この間、病児保育自体も全国に普及し、全国病児保育協議会の加盟施設は、平成3年の発足時は14施設でしたが、現在は700施設を数えるまでに広がりました。また病児保育が子育て支援の重要な施策として認められ、国の制度となりました。平成31年4月には、病児保育室の開設から50周年を迎えることができました(50周年記念式典・祝賀会の様子はこちら)

 

病児保育の詳しい歴史に関する資料(枚方病児保育室くるみのHPから)

 

「枚方つーしん」の紹介記事へのリンク

 

二つ目の特徴は当院の入る建物で、元々は、戦時中の昭和14年に旧陸軍火薬倉庫として建てられたものです。周辺施設の建替えの流れにすっかり乗り遅れていましたが、近年になり、戦時の記憶を伝える、貴重な史跡と認識されるようになりました。今では、府下にある魅力的な建造物の一つとして、大阪府が進める大阪ミュージアム構想の登録施設となっています。戦争のために造られた建物が、時を経て、未来を担う子ども達の健やかな成長を見守る施設としての役割を果たしています。

 

大阪ミュージアム構想HPへのリンク(登録名:東京第二陸軍造兵廠香里製造所安瓦薬収函室)

 

ウィキペディア「香里団地」へのリンク(病児保育や戦争遺跡、ケネディ氏やサルトル氏の記述あり、当院の写真も)